— ラガード研究所-資料室-

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宮沢賢治

岩手県は、地震、冷害、稲の育ちにくい土壌など、どう考えても人が住むには大変厳しい場所だと思いました。いっそ秋田に行けば、かなり生活がよくなるのではないかと考えてしまいます。

ここで案内の方に3月11日の時の様子をお伺いしました。今日で8ヶ月が経ちました。

女性1「ここも大変揺れました。窓が沢山ある所の入り口から入れないのは地震で歪んでしまったからです。それから間もなくボランティアで気仙沼に向かう方達が、多くこのミュージアムを訪れましたよ。」

とのこと。でも怯えている様子もなく、今までにもあったし、これからもあるだろうというような言動でした。

この岩手県の旅で、他の方にも同じような質問をしましたが、同じような反応でした。

人間は自由に動ける足がついていますが、「シグナルとシグナレス」のように本質は、その土地に腕木式信号機のように突き刺さっているのかもしれません。

そして、岩手県の風土についての案内が終わり、小林健二さんの作品を体験させて頂きました。

紫外線で光りだす鉱石達。人工鉱石に比べて、自然鉱石の方がうっすら光ります。「小林健二さんの作品」

電池なしで、聞こえる鉱石ラジオ。これは、とても不思議な装置でした。

「小林健二さんの作品」他にガスランプがありました。

形、色などかなり厳選された鉱石でした。

奇麗にならんだ黄鉄鉱(自然石)

奈良の針道にて採掘できます。

黄鉄鉱採掘へ -奈良-

http://ton-bo.boo.jp/junk/blog/2010/02/09/黄鉄鉱採掘へ/

ピンク色のクリスタル(自然石)

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「注文の多い料理店」の序文にこう書かれています。

これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹や月明かりからもらってきたのです。

ほんとうに、かしわばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかったり、十一月の山の風のなかに、ふるえながら立ったりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。ほんとうにもう、どうしてもこんなことがあるようでしかたないということを、わたくしはそのとおり書いたまでです。

と書かれています。

そんな宮沢賢治が見ていた岩手県という風土を一緒に共感したいという思いでこのブログを進めていこうと思います。

岩手県では、冷害という被害があり稲が育ちにくい環境でした。そこで、宮沢賢治が推奨した稲がありました。

陸羽132号といって、冷害に強い日本初の人工交配による優良水稲です。

この稲が東北の農業を支える事になります。

ただ欠点があり、他の稲に比べて茎が長いようです。この欠点のせいで、強い風が吹くと簡単に折れてしまう危険がありました。

この稲を提唱した宮沢賢治を思うと、「雨ニモマケズ」は、この稲に対しての祈りのように思えてきます。

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ※(「「蔭」の「陰のつくり」に代えて「人がしら/髟のへん」、第4水準2-86-78)
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

南無無辺行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如来
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼仏
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩

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ビデオを見終わると、

女性1「それでは、館内の案内を致します、それとももうご存知ですか?」

と尋ねられました。どうやら宮沢賢治フリークがこの地にはよくやってくるようです。

ここでは、冷害について詳しく教えて頂きました。

冷害の原因である-やませ-について

やませとは、夏から秋にかけて北東からやってくる冷気を持った風の事です。

この冷たい風が、霧となって岩手県に押し寄せてきます。この霧のせいで太陽の光が遮られて、農作物が育たなくなる冷害の原因となります。

これは、岩手県に来て、初めて写真に撮ったあの景色がまさにやませだと気づきました。

この風は、不思議な事に岩手と秋田の間にある山にぶつかると、フェーン現象が起こり、暖かい風に変わり秋田では恵みの風へと変貌します。

とても不思議な風です。

女性1「私は、「風の又三郎」はこのやませを題材にしていると思います。」

との事。

とても興味深いお話です。

次は、宮沢賢治が推奨した冷害でも育つ稲についてです。

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まず、通された部屋です。ここで宮沢賢治についての概説が始まります。

今回の旅で、宮沢賢治の作品と岩手県の風土とが、切っても切れない関係にある事を実感しました。作品は、とてもファンタジーで空想の作り話のようですが、アイデアは常に岩手県の風土にあったと思いました。

ですので、このブログでは主に岩手県の厳しい風土を重点的に書いていこうと思います。

宮沢賢治が生まれたのは、1896年(明治29年)8月27日- 1933年(昭和8年)9月21日)で、賢治が生まれる約2ヶ月前の6月15日に「三陸地震津波」が発生して岩手県に多くの災害をもたらした。また誕生から5日目の8月31日には秋田県東部を震源とする「陸羽地震」が発生し、秋田県及び岩手県西和賀郡・稗貫郡で大きな災害が生じた。(wiki)

また、この年は夏場太陽が全く出ない冷害も重なり農民は飢饉に陥っていた。このような厳しい環境の中、生まれます。

質店の息子であった賢治は、農民がこの地域を繰り返し襲った冷害などによる凶作で生活が困窮するたびに家財道具などを売って当座の生活費に当てる姿をたびたび目撃、これが賢治の人間形成に大きく影響したと見られる。(wiki)


この石と賢治ミュージアムがある東北砕石工場跡地は、賢治が35歳のときわずか7ヶ月だけサラリーマンとして働いた場所です。(後に東京出張時体調を崩し闘病生活を余儀なくされる)
なぜ、ここで働いていたかというと冷害に加え、この土地は昔、酸性の土地で農作物があまり良く育たない土壌でした。そこでこの工場の社長が、土壌の研究をしていた賢治に白羽の矢を向けます。
そこで山を砕き石灰(アルカリ性)を取り出し、土壌に蒔く事で土を中和する作業を行います。
自分は、宮沢賢治は童話作家だと思っていたのですが、大学では農学部で地質調査研究を学んでいて、どちらかというと研究者に近い人のようです。

↑サラリーマン時代の名刺
生前出版された宮沢賢治の本は、自費出版の「注文の多い料理店」と詩集「春と修羅」のみ

この場所での仕事は、賢治の作品にある「グスコーブドリの伝記」そのものです。宮沢賢治はこの厳しい土地の農民たちを助ける事に必死だった事がよくわかります。

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陸中松川駅に到着です。さて、みんな降りるのかと思いきや、自分一人だけでした。よしよし、これでゆっくり見学出来るぞと気持ちも楽になり、徒歩5分ほど歩きます。10月最終日にもかかわらずとても穏やかな天気です。

看板が見えました。人っ子一人おりません。

入り口のようなのですが、入れそうにありません??

線路沿いに出ると、見えました。ここが入り口のようです。

中へ入ると、2人の女性が出迎えてくれました。2人で1セットのような方達で、順序よく交互にお話してくれました。

女性1「今日は、東北県民の日で無料なんですよ。」

女性2「ここを目的に来られたんですか?」

女性1「それでは、こちらへどうぞ。」

女性2「荷物重そうなので、お預かりします。」

とこんな具合です。今回の旅で一番深く印象に残った場所なので、この場所のお話は少し長くなりそうです。

また、ネタバレの件もありますので、もし何も知らないで行きたい方はしばらくこのブログの文章を飛ばして、情報編だけ見てください。

それと、嬉しい事に天文古玩さんが、宮沢賢治さんの文章を書き始めました。

その名も

天文古玩「ジョバンニが見た世界」

玉青さんから

それは、「銀河鉄道の夜」の作品世界の中で、ジョバンニが目にした天文アイテムの数々が、実際にはどんなモノであったのかを考証しようという企画です。

http://mononoke.asablo.jp/blog/cat/kenji/

銀河鉄道の夜の世界を楽しく検証しております。ぜひそちらもご一緒にご覧になってください。

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